八幡平温泉郷 STORY
松尾鉱山の発展と衰退そして地熱エネルギー活用へ
十和田八幡平国立公園八幡平地域を有し、恵み豊かな大自然を身近に感じられる八幡平。その歴史の中でも、東洋一の硫黄鉱山と謳われた松尾鉱山は特に有名です。最盛期には、標高1,000メートルの高地に建てられた巨大なアパート群に、約15,000人が暮らしており「雲上の楽園」として名を馳せました。しかし、時代とともに硫黄鉱石の需要が低迷し、1966年(昭和44年)に閉山。
鉱山景気にかげりが見え始めていた1955(昭和30)年頃、将来の観光需要の増加を予見して、新しい保養所の建設を計画していました。
手始めに松川温泉地域をボーリングしましたが、4本打ち込んだうち、温泉が出たのはわずかに1本。残りの3本からは、温泉ではなく良質の蒸気が噴出します。折しも日本は高度経済成長期。電力の安定的な供給の需要が高まっていました。蒸気を発電に使えないかと考えた当時の松尾村村長を中心に、学術機関などと連携しながら調査や掘削作業を進めます。そして、1964(昭和39)年1月14日。本格的な発電用の第一号井から、爆音とともに蒸気の柱が吹き上げ、この地における地熱発電の歴史が始まります。
八幡平温泉郷の誕生、そしてサステイナブルな暮らしの実現へ
1966(昭和41)年には、日本初の地熱発電所となる松川地熱発電所が操業を開始。当時の近代科学の粋を集め、地熱蒸気という天然のクリーンな大地のエネルギーを活用して発電している松川地熱発電所は、50年以上経過した現在(2021年時点)でも現役で地熱エネルギーを創り続けています。1970(昭和45)年代に入ると、松川地熱発電所から約6キロの区間の引湯に成功。泉質の良い温泉を活用した保養所として八幡平ハイツがオープンしたことを皮切りに、次々とホテルや旅館、ペンションが建てられ、ここに八幡平温泉郷が誕生、観光事業が大いに盛り上がりました。
豊かな地熱は、地球からの贈り物。現在八幡平では、地熱を発電だけではなく産業や農業に活かしており、サステイナブルな暮らしを実現しているまちとして知られています。最新のIoT技術と地熱の熱水を活用したバジル栽培、地熱蒸気の脱色作用を活用した地熱蒸気染色など、街のあちこちで大地のエネルギーが生かされています。
巌鷲山(岩手山)にまつわる伝承
4月から5月にかけて、頂上部に羽を広げた大鷲が黒く(雪が融けた地肌)くっきりと現れ、農作業の始まりを告げる。この鷲形、岩手山の元々の名前岩鷲山の山名の由来でもあると言い、次のような伝説がある。
その昔、岩手山の裾野にまだ人が住んでいないころの話しである。同じ東北でも八戸地方(青森県)は、既に開拓されて人々が住み生活する姿も見られた。海に面していたこの地方は、魚とりの仕事もあったし、田んぼや畑も開けており米や野菜も作るようになっていた。今年も春を迎え、そちらこちらで苗代づくりに汗を流すお百姓さんたちの姿が見られた。程なくして、苗代には緑の苗が芽を出し、ことのほか暖かさも手伝って苗はぐんぐん伸びた。
そんなところへ、ある日の明け方、田んぼに一羽の鷲が舞い降りた。広げた羽は2メートルもあろうかという大鷲だった。はじめは田んぼ道に降りて辺りをきょろきょろしていたが、やがて、もう少しで本田に植え付けるばかりに伸びた苗代に飛び込んで、苗を蹴散らし、食いちぎる悪さを始めた。
そのうえ、2メートルもある羽をばたばたさせて苗を吹き飛ばした。驚いたのはお百姓さんたち。村人が総出でいったんは追い払ったものの、あくる日も、またあくる日も舞い込んではいたずらをした。すると、数日後の夕方になって一人の乞食がひょっこりと村に姿を現した。聞くと、仙台からやってきたという。村人たちは相談のうえ、その乞食に苗代の管理を頼むことにした。
ところが、その次の日になって、乞食は必死になって大ワシを追い払おうとしたが、大ワシは逃げるどころか乞食をあざ笑うかのように、ますます乱暴になって苗代を荒らしまわった。あげくに、飛び立つ間際に苗代のそばで遊んでいた4歳になる男の子をさらい、空高く舞い上がってしまった。乞食は驚きそして慌てた。とっさにこの追跡は長い時間がかかるだろうと思いつき、仙台から持ってきたワラハバキ(ワラで作ったスネ当て)を着けて大ワシを追いかけた。大ワシは、一気に飛び去りはしないで、1里ほど飛んでは岩にとまり、乞食が追いついたころを見計らってはまた飛んで、松の枝に羽を休め、乞食の着くのを待ってはまた飛び出すといった按配だった。それはまるで、自分の行くところへ、どうしても乞食を連れて行こうとしているように見えた。
やがて大ワシは、岩手山の中腹にある大きな岩の上にとまったと思うや、忽ちにして神の姿に変わった。乞食は目をみはった。大ワシの神様は乞食に向かっていった。「私はワシではない。実をいうとこの山の心霊である。この山が開かれることを望んで、お前をここまで誘ってきた。できればこの山を開いて私を祀ってほしい。そうしたら、おまえにノギノ王子という名を授けよう。」そういうやいなや、大ワシの神は子供もろとも姿を消してしまった。ノギノ王子はすぐさま八戸に戻った。八戸の里ではようやく田植えが始まっていた。なんと、ついこの間あの大ワシが荒らしまわったはずの苗代は、全く元通りに青々と広がり、さらわれたと思った男の子も無事に育っていた。大ワシの姿を借りた神様の霊力なのだろう。
ノギノ王子は、事のあらましを里人たちに伝え、力を合わせて道を開き、祠を建てて岩手山にその神霊を祀った。信仰深い登山者の間では、ノギノ王子のワラハバキを作り奉納する風習が今なお残されている。ともあれ、このお山はノギノ王子を連れてきた大ワシが止まったことから、巌鷲山と呼ばれるようになったというのである。
おめでとうございます!